イライラすること

前の記事で、人に期待をしてしまうから、その期待を裏切られたときにイライラするんだとお話ししました。

じゃあなぜ期待してしまうのか。

それは、自分だったらここまでするよな

自分だったらこうやるよな

と、自分の中で当たり前の水準を定め、それに達しない場合はイライラしてしまうということです。

ではどうして嫌いな人にイライラしてしまうのか。

生理的に嫌いな人、異性として嫌いな人、人として嫌いな人などありますけど、これらに共通することがあります。

それは自分に合わない人は嫌い、ということです。

見た目が(自分の好みとは合わないから)生理的に嫌い。

金銭感覚が(デートは割り勘派の自分とは違うから)異性として嫌い。

性格が(表裏があって自分とは合わないから)人として嫌い。

など、相手は自分の許容範囲かを無意識のうちに判断しているんですよね。

だから好きになるタイプは人それぞれですし、親友になる人も人それぞれ。

自分の好みのタイプだから好きになり、親友になる。

まあ当たり前の事を言っているのかも知れませんが。

イライラに共通するのは、ある一定の水準に満たないときに、それを許容できるか否か。

よく、期待しているから叱って伸ばす、とか言いますよね。

興味のある相手、関心のある相手には感情が湧くものです。

相手の行動や存在が、自分の基準に対して上回った場合に

あるときは喜びになり、あるときは怒りとなり。

あるときは哀しみとなり、あるときは楽しみとなる。

人間は喜怒哀楽を表現できますが、どの感情も素晴らしいと思っています。

イライラも、人間の一部を構成する素晴らしい感情であると思いますし、度が過ぎなければあって当然だと思います。

ただ、無関心な人に対してはそういったポジティブなイライラをしません。

他人はどうなってもいい、と考える人が一定数存在します。

人生にむしゃくしゃして無関係の人を傷つける、というニュースもよく見かけます。

これはネガティブなイライラから来る、他人を害してやろうという悪意ですよね。

イライラは誰しも持ち合わせている当たり前の感情であると思います。

そのイライラを自分勝手な都合に解釈してしまうことが悪なんです。その解釈によって何らかの悪い結果をもたらす事を考えないのが悪なんです。

嫌いな人がいたっていい。

イライラしたっていい。

ただ他人や社会に無関心である事をやめて欲しい、と私は思います。

電車の席の譲り合い

運転中の譲り合い

ほんとに素晴らしいですよね。

他人の事を考えて、会釈や手を挙げたりサンキューハザードしたり。

街中で困っている人を見かけて、周りの人が心配して手伝ってくれている光景をたまに目にします。

困っている人を助けたい、という善意ですよね。

イライラも ”怒” ですから、人間の素晴らしい感情の一つです。

ただ無関心な、無機質な感情ほど怖いものはありません。

他者を思いやってこそ、喜びや悲しみ、楽しみが生まれる訳で、思いやりのない心からは何も生まれません。

イライラも後になって客観視して、反省できればいいんです。

一方的にイライラを正当化して相手にぶつけるのではなく、こうしたちょっとした気遣いを同時に持ち合わせてもらえたら、もっと人間関係はうまくいくのではないでしょうか。

次は将来の夢についてお話しします。

読んで頂きありがとうございました。

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